◆埼玉大学創立70周年記念事業◆第4回リベラルアーツ研究セミナー「敗戦前後の国体危機と親英米派―国家主義者安岡正篤の政治思想を中心にー」を開催
2019/10/11
9月27日(金)に、教養学部主催の第4回リベラルアーツ研究セミナーで、ロジャー?ブラウン教授が講演を行いました。
昭和初期の日本国内の政治抗争のなかで、三国同盟の締結に反対し、国内での新政治体制運動を疑問視する慎重な勢力は、同同盟と新体制を促進する革新勢力に皮肉を込めて「親英米派」と呼ばれました。日米開戦後の英米側には、この慎重派を戦後の改革に望みをかける「穏健派」や「リベラル派」と見なすものもいれば、同派を「反動派」と見るものもおり、その評価は分かれていました。宮中勢力なども含むこの慎重派のなかに、国家主義者安岡正篤に親密な人物もいたという事実を手がかりとして、ブラウン教授は安岡の思想と活動を分析し、「親英米派」における敗戦前後の国体護持の構想、そして英米側による安岡をめぐる意見の相違とその意義について発表されました。
親英米派から継続的な後援を受けていた安岡の論考を中心に分析したブラウン教授の講演では、彼らに穏健さはあったものの、保守的権威主義と国家主義の傾向も強く、「英米」や「協調外交」へ同情的な「リベラリスト」などというよりは、天皇を中心とする明治憲法体制の擁護を望む保守主義者だったという解釈が妥当であることが示されました。政治や社会の不安定化をまねく思想や政策への警戒心を強く持った安岡は、左右両翼の過激思想を懸念し、枢軸国と連合国が対立する中で、中立主義政策を取ることが大日本帝国に利すると論じました。英米との開戦以降、戦争初期における緒戦での勝利に喜んだ安岡でしたが、長期戦が国内状況に及ぼす悪影響を憂慮し、国体の護持を念頭に東條内閣倒閣運動と早期終戦の工作に協力もしたようです。敗戦によって帝国は倒壊しましたが、ポツダム宣言の受諾と占領下の日米協力によって皇室は継続しました。戦争責任問題も含む危機を乗り越え、天皇制は存続しました。この意味では、「国体を護持し得」たと言えるでしょうが、安岡らが皇室とともに継続を望んだ国体論?国民道徳観は衰えたとも言えます。英米側の安岡をめぐる意見の相違に関しては、のちに日米安保体制の基礎となる観点が見られるものの、同時に戦後の左翼や進歩派の知識人の民主化に反する「国体護持」と占領改革のいわゆる「逆コース」への批判の起源もあったとブラウン教授は論じました。
当日は教員に加えて学生や社会人も多数参加し、和やかな雰囲気のなかで活発的な質疑と討論が行われました。
当日の様子
講演するロジャー?ブラウン教授
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